ピアノ調律師、ゼウスキのブログ

横浜市神奈川区在住、ピアノ調律師ゼウスキのブログ

    ファーストアルバム
    日高美子&Shinya
    『音の風景画』
    2019年12月24日発売予定!!

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    2016年01月

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    K君がオルガンを弾く姿は、僕に強い衝撃と共に、大きな希望と勇気を与えてくれました。

    「男でもオルガンを弾いても良いんだ!決して女の子だけが習うものではないのだ」と、オルガンを弾く男の子は自分だけだと思ってた僕にとっては本当に心強く、「こそこそ練習をしなくても良いのかな?」と言う気持ちも出てきました。今でもK君がオルガンを弾いたときの姿は僕の頭に鮮明に焼き付いてます。しかし、K君は音楽の授業や文化祭などで伴奏をする事は無く、スポーツ好きだったため休み時間は常に外で遊び、オルガンを弾く姿を見る事無く四年生になりました。

    四年生もクラス替えは無く同じメンバーでしたが、何故か担任の先生が変わりました。一年生から三年生までは女の先生でしたが、四年生の担任の先生は恐ろしいことで有名な男の先生になり、クラス全員ビビってる状態で新学期をスタートしました。

    しかし、普段はいつも怒鳴り散らしてるイメージとは違い、意外に優しく音楽が好きだったみたいで、色々な歌を教えてくれました。

    オルガンの前に立ち「こう言う歌があるけどどうかな?」と小さなハンドブックの様な楽譜を左手に持ち、右手でメロディーを弾きながら歌を聞かせてくれました。 しかし、その様子は子供にとってはとても違和感があったようで「男のくせにオルガンを弾いてる~」とくすくすと笑ってる女の子達がいました。その事は後に学級新聞にも書かれ、発表された時は先生も苦笑いをしてました。

    「やはり男がピアノを弾くってそんなに変な事なのかな… K君もあれ以来オルガンを弾かないし。」とまた寂しい気持ちになってしまいました。

    しかし、オルガンを弾く事が好きでたまらなかった僕は「いつか聴いたあの幻の曲、覚えたい!」と言う思いがあり、休み時間にいつもの様にオルガンを弾いてたBさんに「ずっと前に弾いてた暗い曲弾いてくれる??」とお願いをしてみました。

    「暗い曲??どの曲だろう?これ?」と「エリーゼのために」の冒頭を弾き始めました。 「ん~…それとは違うんだな…それも良い曲だけど。。」「じゃあこれ??」とまた違う曲を弾き始めました。 「ん~…それとも違うな…」「曲名は??」「それも分からないんだよ。 三年生の時に弾いてるのを聴いたんだけど…」「これ??」とまた違う曲を弾き始めました。「Bさんこんなに沢山弾ける曲があるんだ…」と思いながら、「三年生の時にK君と一緒に弾いてた曲なんだけど?」と言うと、「もしかしてこれ??」とあの幻の曲を弾き始めました。「それそれ!!聴かせて!!」「あ~アラベスクね♪」「ア、アロ…ベスク??」とブルグミュラーの「アラベスク」を弾いてくれました。



    その曲に興味津々だった僕は、とにかく覚えたい気持ちが強く「最初の音はどこを弾いてるのだろう?」と目で左手の和音を追い、「あの位置は…ラ…ド…ミ、出だしはラドミなんだ。その後の右手は??右手の最初の音は…ラ!ラドミとラが最初の音か!」とまずは出だしの音を覚えて、早速家に帰りピアニカで音をさらってみました。

    二オクターブしか鍵盤がないため完全に片手ずつしか弾くことは出来ません。左手でイントロを弾き、その後右手でメロディーを記憶を辿り弾いてみました。「音は段々上に上がる感じだった。 こんな感じだったような…」と弾いてみました。 「ラシドシラ、ラシドレミ、ミファソラシ?あれ?何か変だな…ミファソラ?」と途中で音がBさんに弾いてもらったのと少し違う箇所が現れ、「ここはどう言う音階なんだ??ミファソラ…で終わると次の音に繋がるけどこれだと音が少ないような…」と分からなくなり、また次の日にBさんに「昨日の曲また聴かせてくれる?」とお願いをしました。

    そして再び演奏をしてもらったのですが、つまずいた箇所は何の違和感もなく弾いてました。「速くてどうやって弾いてるのか分からない…」と思い、「ゆ~っくり弾いてくれる?」とテンポをかなり落として弾いてもらいました。そしてよく見ると、音が1つだけ前の鍵盤に戻ってる事が分かり、「なるほど!!あそこはミファソラシと上がるのではなくレミファソラか!しかも左手も押さえる鍵盤がそこで一瞬変わるんだ!!」とモヤモヤが解消されました。

    そしてその次のメロディーも同じ様に見て覚え「今弾きたい…忘れてしまわないうちに弾いて覚えたい!!」と思い、Bさんがオルガンのから離れると「一度くらい人に聴かれてももう良いや!!」と開き直り、「アラベスク」の冒頭の部分を弾いてみました。

    するとBさんが「あんた!!ピアノ習ってた??」と驚いた表情で戻ってきました。流石にBさんが弾いてるのを見て覚えたとは言えず、「いや、、僕は習ってないけど従姉妹が習っててね」と言葉を濁しました。

    僕がオルガンを弾けると言うことは周りに知られてしまいました。

    そして、僕がアラベスクを弾き始めた事がきっかけで、この曲がこの後クラスのヒット曲状態になるのでした。


    次回に続く…

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    「こぎつね」「思い出のアルバム」「アマリリス」と三曲とも難無く弾けるようになった頃、ふと「僕が弾ける曲って学校で習う歌ばかりだな…」と、レパートリーの曲に不満に近いものを感じるようになりました。

    そんなある日、休み時間にいつも歌の伴奏をしてるBさんが聞き慣れない曲を演奏し始めました。

    「この曲は何??凄く暗い。でもこのメロディー凄く好きだ」とその演奏に耳を傾けました。

    すぐに休み時間終了のチャイムが鳴ってしまいその曲は一度しか聴けなかったのですが、その時から頭からそのメロディーが離れなくなりました。

    「あれは一体何と言う曲なのだろう??また聴きたい…」と思ってたのですがその後その曲を中々耳にする事が出来ませんでした。

    休み時間にいつもオルガンを弾いて遊んでる女の子達を見て、「良いな…僕も本当は弾いて遊びたいんだよな」と思うようになりました。

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    今の時代はどうか分からないけど、僕が子供の頃はピアノ=女の子の習い事と言う風潮から、自分がオルガンが弾けると言うことは周りの人には絶対に知られたくなかったのです。

    また、人見知りの激しさと運動神経0だった事も災いし、当時僕はイジメを受けてました。ここでオルガンが好きだと言う事を知られると更にイジメ悪化するだろうと思い、身内以外オルガンが好きと言うことは言えずにいました。

    しかし、学校の教室にあるオルガンを弾きたかった僕は、「そうだ!放課後教室に誰もいなくなったらこっそり弾けば良いんだ」と思い、この頃から誰もいなくなった教室でこっそりと練習をする様になりました。

    一度だけ耳にした幻の曲のメロディーが頭から消え失せた頃、昼休みにBさんがオルガンを弾いて遊んでると、そこに三年生で初めて同じクラスになったK君がオルガンを弾いてるBさんに声をかけ、何やら2人でペチャクチャお喋りが始まりました。

    「何を話してるんだろう?」と見ていた次の瞬間、K君が突然オルガンを弾き始めました!!しかもその曲は例の曲です!!「え??え??男の子がオルガン??しかも僕が好きな曲!!」とオルガンを弾くK君に釘付け状態になりました。それまで男の子がオルガンを弾く姿を一度も見たことが無かった僕には本当に斬新だったのです。そして、オルガンを弾くK君を見て「カッコいい…男の子がオルガン弾いても全然変じゃない!ホントにカッコいい!!」と思ったのです。

    その時初めてK君がピアノを習ってると言う事を知りました。

    曲を弾き終えると今度は同じ曲をBさんが弾き始めました。2人で同じ曲を弾き合って楽しんでる様子を見て、「羨ましい…ピアノを習うとこう言う楽しみもあるのか。それにこの曲本当にいい曲だ!僕が弾きたいのはこう言う曲。一体何と言う曲だろう??僕も覚えたい。。」と楽しそうにオルガンを弾き合う2人を金縛り状態で見てました。


    次回に続く…

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    オルガンの購入は無理だと諦め、それまで通り保育所、祖母の家に連れて行ってもらいオルガンを練習をする事となりました。

    ある日、「思い出のアルバム」を弾いてると側にいた姉が「音が合ってない」と言ってきました。「間違えてないはずなのに何を言ってるのだろう?」と思い、「間違えてないよ」と言うと「でも音が合ってない。ずっとドミソで弾いてるじゃん」と言ってきました。姉が言ってる意味が理解出来ず、「どういう事?」と聞くも「とにかく音が合ってないの!」とそればかりでした。

    「感じ悪い!!」と思ったものの、姉の言葉が気になり学校でそれとなく隣の席の子に「ねえねえ、思い出のアルバムの左手ってドミソドミソって弾いたら良いんだよね??」と聞くと、「そうだよ。でもね、時々シの音が入るみたいだよ。どこで入るのかは分からないけどずっとドミソじゃあ無いらしいよ」と言われました。

    「シの音が入る??どこで??今自分が弾いてるのは間違えてるの??」とそれまでマスター出来たと思ってた曲が、実は完全マスターではないかもしれない事が分かり、再び祖母の家に行ったときに「どこでシの音になるのだろう?」と音を探ってみました。



    そしてある部分で左手の最初の音をシで弾いたとき、「あれ??ここだとシで弾いた方が音が合ってる感じがする…」と徐々に音の違いを聞き分けられるようになりました。

    「もしかしたらこぎつねも他の音が入るのでは??」と思い、ゆっくりと弾いてみると確かに音が合わず違和感を感じる箇所がありました。

    違和感を感じる箇所で、あらゆる鍵盤で左手の音を弾くと、気持ちよく聞ける音がある事に気付きました。
    これがいわゆるコード進行で、「こぎつね」で例えるとC→F→C→F→C→G→C→G→C→G→C→G→Cです。それまでは終始Cのみで弾いてた為、FとGの箇所が音が合ってない状態でした。

    音感が無かった自分にはそれまで音が合ってない事も全く気付かずすっかりと弾けた気になってたのです。
    改めて練習し直し状態になり、コードを変えた修正バージョンで練習を始めました。

    この頃、音楽の授業で習ってた歌は「アマリリス」でした。エレクトーンで伴奏をしてた子が、メロディの倍速で左手をドソミソドソミソと弾いてるのがはっきりと聞き取れたため、「こぎつね」「思い出のアルバム」の練習に加え、「アマリリス」もレパートリーに加わりました。

    しかし、楽譜が読めなかったため全て感覚で弾いてる状態です。


    次回に続く…

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    短い春休みも終え、僕は小学三年生になりました。
    二年毎にクラス替えがあったため、クラスのメンバーも担任の先生も変わり、周りは殆んど知らない人だらけでした。

    その中に保育園の時からの親友、H君がいました。
    ピアノ、エレクトーンを習ってる人もかなり多く、朝の会、音楽の授業、終わりの会で歌を歌う時は、先生はオルガンは一切弾かずクラスメートの誰かが毎回弾いてました。 休み時間にオルガンを弾いて遊んでるクラスメートを見て、「良いな…僕も弾きたい」と思うものの、オルガンを弾けると言うことを誰にも知られたくなかった僕はただ羨ましさだけを抱えてその様子を見て過ごしてました。

    丁度その頃、中学生になった姉は、部活で吹奏楽部に入りました。担当する楽器はフルートです。 しかしこの事が家庭内に荒波が起きる原因となりました。

    部活で使う楽器は基本的には学校側が貸し出しをしてたのですが、姉は「学校の貸し出し用のフルートなんて絶対に嫌!!買って!!」と口にするようになりました。フルートはその当時20万円位する楽器でした。

    音楽に関心の無い母は「たかが部活で使うものに何でそんな大金払わなきゃいけないの!!学校の使えば良いでしょ!!それか他の部活にしなさい!!」とフルートの購入を猛反対しました。

    しかし、一度言い出したら聞かない姉は(ここだけは兄弟よく似てる)、「買う!!」母は「買わない!!」とバトルが始まりました。 このバトルは意外にもすぐには終わらず、結構長期戦となりました。

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    詳しいことまではよく分からないけど、学校の先生と、姉と母と三者面談にまでなったらしく、学校の先生の説得もあり母は渋々姉に新品のフルートを買い与えました。

    ピカピカのフルートを手にした姉は、それはそれは嬉しそうな笑みを浮かべ、食事の時もフルートを手にしてる事もありました。

    それを見た僕は母に「僕にもオルガンかピアノ買って!!それに習いたい!!」と駄々をこねるようになりました。

    「何をバカな事言ってるの!!そんなの大人になって自分で買いなさい!!それにピアノを習う前に塾に通いなさい!」と全く聞き入れてもらええませんでした。 「だってお姉ちゃんにはフルート買ったじゃん!!僕もオルガンかピアノが欲しい!!」と反論をするも「お姉ちゃんは六年間学校を1日も休まなかったし、成績も優秀だからそのご褒美に買ったの!!あんたはすぐに体調崩して学校を休むし成績も悪いしそんな事する暇があるなら塾に通わすよ!それにピアノを習ったら大勢の人が見てる前で発表会でピアノ弾かされるよ!あんたそれ出来るの??」と全く反論出来ないことをずばり言われてしまいました。

    冬でも常に半袖で学校に通うほど活発的で成績優秀な姉とは違い、僕は病弱で常に病院に連れて行かれては注射を射ち、小児用の薬を処方されては家でも学校でも薬を飲んでました。当時原因不明の頭痛にも悩まされ、学校を休む事が多く共稼ぎの母にはそれがかなり重荷になってたみたいでした。

    また、人見知りが本当に激しかったため人前で何かをすると言うことは当時の自分には出来ず、発表会で人前でピアノを弾くと言うことは到底無理だと自分でも思い、この時にレッスンを受けると言う気持ちは完全に0になってしまいました。

    人見知りが激しく、病弱だった事は、若草物語のベスと共通してます。

    言葉を失い僕は、「何で昔もらったオルガン壊したの??欲しかったのに…」と言ってしまいました。「あれはお姉ちゃんにプレゼントされたものなの!!貰ったお姉ちゃんがいらないって言うから処分しただけ!」と言われ、物置となってしまったオルガンの蓋を見ては「元の姿に戻ってくれたら良いのに…バラバラに壊すなんて酷すぎる」と嘆くのでした。


    次回に続く…

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    姉が目の前でオルガンを弾いたのを目の当たりにして(レッスンを受けた事がない姉が何故オルガンを弾けたのか、どこで覚えたのかは今でも不明のまま)、習ってなくてもオルガンを両手で弾くことは出来ると言う希望が自分の中で出てきて、保育所、そして隣家のM君の家にお邪魔をしてはオルガンを練習する回数が徐々に増えてきました。

    文化祭の本番迄は、常にTさんが演奏する伴奏に耳を傾けてました。
    伴奏を聴きながら僕の頭の中は常に「ドソミソドソミソ」と言う階名だけが流れてました。


    家にオルガンが無い環境の中、限られた時間でひたすら練習を繰り返し、二年生も終わりを迎えようとした頃、ようやく最後まで両手で「こぎつね」を弾く事が出来るようになりました。

    初めて両手で弾ける喜びを噛みしめ、大きな達成感を感じてました。しかし、左手は終始ドソミソのみで、ドファラ等のようにコードが変わると言う事を全く知らなかった僕は、音が合ってない事にも全く気付かずすっかりマスターした気分になってました。そう言う意味では完全なマスターとは言えない状態です。


    三学期の終わりと言う事で全校児童定番の「思い出のアルバム」を歌う事になりました。

    これもやはり毎年のように児童の誰かがエレクトーン、またはピアノで伴奏をすると言うのがお決まりでした。

    この時もたまたま左手の動きが「ドミソドミソ」と言う事を知り、「こぎつね」に続き、今度は思い出のアルバムの練習を始めました。

    完全では無いとは言え、「こぎつね」が両手で弾けるようになった事で、左右バラバラに指を動かすと言う事に慣れ、「思い出のアルバム」は思ったより早く弾けるようになりました(しかしこれも終始ドミソのみ)。

    三学期の終業式を終え、新学期を迎えるまで短い春休みに入りました。

    母が仕事をしてる関係で、平日は祖母の家に預けられるか、保育所に預けられる事が多く、家で過ごす事はあまりありませんでした。



    そんなある日、祖母の家に預けられて従姉妹と部屋で遊んでた時「ねえ、ピアニカとかおもちゃのピアノって持ってないよね~?」とダメ元で従姉妹に聞くと「おもちゃのピアノは無いけどオルガンならあるよ」と言われました。

    「え??オルガン??どこにあるの??」「二階だよ」と二階に上がると奥の部屋にオルガンがありました。赤ちゃんの頃から祖母の家に遊びに行ってたにも関わらず、その日までオルガンがある事を全く知らなかったのです。

    「お願い!!弾かせて!」とお願いすると「でもこれお姉ちゃんのだから見付かったら怒られるかもよ」と言われてしまいましたが「お願い!!内緒にしてたら分からないよ!!弾かせて!!」とお願いをして弾かせてもらいました。

    弾ける曲は「こぎつね」「思い出のアルバム」の二曲だけです。夢中になって弾いてると従姉妹が「私にも弾かせて!!」とオルガンを占領してしまいました。

    ただ、幼い従姉妹は両手で弾くことは出来ず、片手でメロディーを弾くだけでした。「オルガン習ってるの?」と聞くと「うん、アップルに行って教えてもらいよるよ」と答え、そこで教えてもらったと思われる曲を片手で弾いてました。

    「アップルねぇ…そんな音楽教室聞いた事無いけど…」と内心思い、片手でオルガンを弾く従姉妹の隣で、僕は退屈なままその演奏を眺めてました。

    従姉妹の家にオルガンがある事を知り、春休みは保育所、従姉妹の家に連れて行ってもらい、誰もいない時間になるとこっそりオルガンの練習を始めるのが当時の楽しみでした。

    そして三年生の新学期を迎えました。


    次回に続く…


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    TさんからFさんに伴奏者が変わり、Fさんの伴奏もあともう少しで完成しそうな頃、先生が再び「Fさん、文化祭の伴奏最初の予定通りTさんにお願いすることになりました。今体育館のピアノを弾いてもらったらちゃんと音が鳴らせたのでTさんに弾いてもらいます。せっかく練習してもらってたのにごめんなさいね」と言いました。

    「ピアノってそんなに音が出せない楽器なのかな??」と、実際にピアノを弾いてみたいと言う気持ちが徐々に出てきました。

    そして、それまでは教室でしか合唱の練習をしたことがなかったのですが、実際に体育館で歌の練習をする事になりなりました。

    オルガンの伴奏と違い、綺麗なピアノの伴奏を聴いたときに、「良い音だな~。教室のオルガンとは全然違うし心地良い」と伴奏の音に酔いしれてました。

    初めてオルガンを弾いて挫折気味だったものの、もう少し弾いてみたいと思い、今度は隣の家のM君の家にオルガンがあることを知り、「オルガン弾かせて♪」とお願いをして、少し弾かせてもらいました。

    両手練習を始めると、まだ幼稚園だったM君は「それ何の歌??」と聞いてきました。「学校で習ってる歌だけどクラスの女の子が両手で弾いててね。僕にも出来ないかなと思って…」と言いながら練習に打ち込むと、最初の2小節が何となく形になりました。

    「ねえねえ!M君、ちょっと聴いて♪何かちょっと出来るようになったかも」と出だしの部分を弾きました。

    ただ、すぐに間違えてしまい「あ~!間違えた~」と2人で大爆笑しましたが、何となく弾けた感触が忘れられず、「やっぱり弾けるかも??」と言う気持ちが強くなりました。

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    再び母にお願いして、保育所に連れて行ってもらいました。人がいない事を確認して、また練習を始めました。

    暫くすると、当時小学6年生だった姉が「何してるの??」とオルガンの前に来て「ちょっと弾かせて」と、両手で小学校の校歌を目の前で弾き始めました。

    「凄いじゃろ~!!」と得意気に弾いてました。 姉がオルガンを弾く姿は、僕がうんと幼い頃、親戚からオルガンを譲り受けた事があり、そのオルガンで猫踏んじゃったを弾く姿を見て以来でした。

    せっかく譲り受けたオルガンも、姉が「オルガンはいらない」と言ってしまった為、家に来て数ヵ月後に父が庭で全てバラバラに分解をしてしまいました。

    オルガンは姉の部屋にあったため、弾きたくても僕は全く触らせてもらえず、姉の一言で捨てられるはめになりました。

    解体されたオルガンの蓋だけが残り、物置としてその蓋は長い事使われました。

    姉もレッスンは受けたことは無かったものの、楽譜だけは読むことが出来たため学校で使う楽器は演奏することが出来たみたいでした。

    「オルガンを習ってないお姉ちゃんでも弾けるなら僕にも弾けるはず!」と再びオルガンに向かい、ひたすら両手の練習を始めました。


    次回に続く…

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    Tさんが伴奏をする事になり、その日から文化祭に向けてほぼ毎日、授業に文化祭の練習が入るようになりました。

    歌も伴奏も良い感じに進んでいたある日、先生から予期せぬ言葉が出ました。

    「ピアノのレッスン受けてる人いますか??文化祭の伴奏をお願いしたいんです」と言う言葉でした。既にTさんに決まってて、伴奏も問題無く弾けてるのにどうして??と周りも疑問を抱いてる状態でした。

    すると先生が「Tさんね、ピアノではなく習ってるのはエレクトーンだったんです。ピアノの鍵盤はとても重たいからエレクトーンの弾き方だと音が出ないんです。普段からピアノでレッスン受けてる人いますか??」と言いました。

    ピアノってそんなに弾くのが大変な楽器なの?と、ピアノを弾いたことがない僕は更に疑問が出てきました。

    そして、クラスでピアノを習ってた人の中から、転入してきたばかりのFさんが抜擢されました。

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    先生が「Fさん、本当に急で申し訳ないけど、今日から練習して下さいね」と伝え、その日の休み時間からFさんは教室のオルガンで練習を始めました。

    楽譜を見ながら側でTさんがアドバイスをする感じで練習が始まったのですが、いきなり両手で練習を始め「何??この子も両手??しかもさっき先生にお願いされたばかりなのに…」と、Fさんに釘付け状態になりました。ただ、初見で弾いてるため、何度も突っ掛かり、何となく曲になってる感じでした。その様子を見て、「もしかしたら、僕にも弾けるのでは??」と言う気持ちが徐々に出てきました。

    「左手はどうやって弾いてるのだろう?左手のメロディーだけ聴いてみたい…」そんな気持ちを抱いてた矢先、別の休み時間で不思議なピアニカの音色が聴こえて来ました。女の子2人が各々自分のピアニカで1人はこぎつねのメロディー、そしてもう1人は左手の伴奏を弾くと言うプチ合奏でした。

    そして左手の伴奏を弾いてた子が「ドソミソドソミソ♪」と歌ってるのが耳に入り、「ドソミソ??そっか!!左手はドソミソで弾いてるんだ!確かにそう聴こえる♪」と、左手のメロディーを知ることが出来ました。

    早速練習をしてみたい!と思ったものの、2オクターブしか無いピアニカでは、とても両手の練習は出来ません。自宅にある鍵盤楽器はそのピアニカのみでした。

    その頃、母親はポーラ化粧品でセールスレディをしてたのですが、ポーラ化粧品の事務所の奥に、仕事に出てる間子供を預けられるように保育所がありました。そしてその保育所には古いオルガンが置いてました。それを思い出し、母に「ポーラ化粧品連れて行って!!」とせがむようになりました。保育所嫌いだった僕が突然そんな事を口にする事に母は驚き、「ポーラに何の用があるの?」と言われたのですが僕はひたすら「何でも!」と本当の訳は言えずにいました。

    そして、保育所に連れて行ってもらい、誰もいない時間を見計らって早速練習を始めました。鍵盤の幅がピアニカに比べてかなり広いため、小さな子供の手にはドソミソを弾くのもかなり手を広げないと届かず、思ってた以上に難しいものでした。

    何度も何度も練習をするものの、左右の指をバラバラに動かすと言うことに全く慣れてない自分には、練習をしても練習をしても中々形になりませんでした。「やっぱり習ってない僕には弾けないのかな…」半ば諦めモードになってた頃、母が事務所に戻って来たため、その日はもう練習はそこまででした。


    次回に続く…

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    昔日曜日の名作シリーズで愛の若草物語と言うアニメが一年間放送されてました。当時まだ小学生だった僕は夢中になって観てたのですが、たまたまYouTubeで愛の若草物語の主題歌を久し振りに聴いて、この物語に登場するベスは、自分とかなり共通してるなと思いました。

    ベスはピアノが大好きな少女で、独学にも関わらずリストの曲など弾きこなすと言う設定でした。

    四姉妹が各々歌う主題歌も、ベスはピアノに対する想いを歌ってて、その詞の内容はまさに当時の自分の気持ちそのものでした。

    僕と鍵盤楽器の出会い…それは30数年前の時でした。

    小学二年生になり、全員ピアニカを学校で購入しました。それは僕にとって生まれて初めて手にする鍵盤楽器でした。

    しかし、両親が音楽に全く関心が無かったこと、そして裕福で無かった環境から、僕が購入したピアニカは一番鍵盤数が少ない僅か2オクターブのピアニカでした。
    周りの人達は、自分よりも音域の広いピアニカを持っているため、内心「どうして僕のピアニカだけ幅が狭いの??」と不満を抱いてました。

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    音楽の授業でいよいよ実践に入り、ドレミの位置、そして初めて体験する指潜りを習いました。

    先生が「ここで指を潜らせて下さいね♪こんな風に潜らせるんですよ~」とゆっくりとお手本を見せてくれました。
    それに続いてクラス全員で1オクターブを上り、そして下りも練習しました。

    「面白い!こうやって5本の指を使い分けるのか♪」とピアニカの初の授業は本当に楽しいスタートでした。そして授業はどんどん進み、片手でメロディを弾くと言う所までは難なくと進みました。恐らくクラスの人全員すんなりとついて来れてたと思います。

    二学期になり、文化祭で「こぎつね」を合唱することになりました。それまで合唱の伴奏は全て担任の先生がオルガンで弾いてたのですが、ある日「今年の文化祭の歌の伴奏はピアノが弾ける人にお願いすることにします」と言われ、クラスの女の子Tさんが抜擢されました。

    そして数日後、「今日から合唱の伴奏はTさんに弾いてもらいます。Tさん、前に出てオルガンを弾いて下さい」と言われ、教室にあったオルガンをTさんが弾き始めました。
    両手で先生と全く同じ伴奏を弾き、「凄い!!先生と全く同じだ!!凄い!!」と強い衝撃を受けました。右手だけなら同じ様に弾くことは出来たのだが、両手でさらりと弾くTさんの姿を見たとき、別世界の人間を見てるような感覚になったのです。

    そしてTさんの伴奏に合わせて合唱の練習が始まりました。


    次回に続く…

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    今朝は変な夢を見て目覚めたので、夢日記を書きます。

    ずっと前から気になってるピアノコンクール、ピティナ・ピアノコンペティション。 10年くらい前に、ピアノサークルのメンバーに勧められて、一度だけ申し込みをしたことがありました。

    ただ、予選の日にちがどうしても都合がつかず、その年は泣く泣くキャンセルをしてしまいました。

    それ以後、タイミング等も合わずエントリーをすることなく今日に至るのですが、夢の中で去年予選でピアノを弾いた夢を見ました。

    去年弾いたけど結果は来ないまま新年を迎え、「あれ?そう言えばピティナの予選結果あれからどうなったのだろう?あれ?そう言えば、サークルのメンバーが優勝をしたはず。。あれ?ところで僕は何の曲を演奏したんだっけ??」とあれこれ頭の中がごちゃごちゃ状態の時に目が覚めました(^-^;

    しかし、目が覚めても暫く「僕去年ピティナで演奏したはずだよね??」とまだ現実と夢の区別が付かない状態に(^_-)

    そして頭の中が完全に目覚めたとき「あ!全部夢だ。まだピティナに出られるまでの演奏は今は出来ない」と気付いたのと同時に、再びピアノの練習スイッチが入りました。

    ピアノコンクールは20年前に1度だけ出たことがあるのですが、ピティナにもいつか出たいと思い続けて数年の年月だけが流れてしまいました。

    今練習してる曲が完全に仕上がったとき、ピティナで実際に演奏してみたいのですが、まだ少し先になりそうです(^-^;

    でも何か目標が無いと、練習にも身が入らないから思い切って今年はピティナに申し込みをしてみようかなと思う今日この頃です。

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    先月から新しい仕事を開始したのですが、初給料日まであと9日。

    先月はクリスマスパーティーや忘年会などでかなりの出費が…

    お財布の中がピンチ!と言うことで、今月からケチケチ生活を始めました♪

    昼食は毎日外食をしてたのですが、安くても500円かかってしまうため、今月から弁当を作って持って行くことにしました。

    とは言っても、手の込んだ物では無く、前日、または前々日に作った夕飯をそのまま持って行って職場のレンジでチンして食べるだけです^^;

    食費をなるべく抑えようと、近所にある業務スーパーに買い出しに♪

    色々なものが大量に安く販売されてるのですが、その中でハマってるのは焼きそばです。 焼きそばの麺が、1キロで100数十円で売られてるので、これを購入して、50~100円のミックス野菜とソースで料理をするのがとても簡単で美味しく出来るため頻繁に作ってます。

    流石に1キロ全部は一回に調理しきれないため、約半分ずつ使い、二日に分けて食べてます。
    次によく作るのがパスタ。これも安く大量に購入出来るので、重宝してます。

    そして得意の鴨せいろ♪ただ、鴨せいろはさすがに弁当には出来ないため、ほぼ休日のメニュー^^;

    大量に購入した紅茶の茶葉で少し濃い目の紅茶を作り、ペットボトルに炭酸水と入れてティースパークリングにして職場に持参♪

    こうして切り詰めると意外とお金がかかりません♪

    魔女の宅急便のキキでは無いけど、余裕出来るまで「暫くは焼きそばで頑張るしか無いわね~(笑)」。

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