ピアノ調律師、ゼウスキのブログ

横浜市神奈川区在住、ピアノ調律師ゼウスキのブログ

    ファーストアルバム
    日高美子&Shinya
    『音の風景画』
    2019年12月24日発売予定!!

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    中学校生活も始まり、授業をフルで受けるようになりました。 週に数回ある音楽の授業は音楽室に毎回移動してました。 音楽の先生は二人いたのですが、僕達は年配の女性のT先生から習う事になりました)。

    T先生はピアノが殆んど弾けなかったため、一番最初の授業で「ピアノ習ってる人前に出てください」とピアノを習ってた生徒は名簿に名前を記録されてました。

    合唱のパート練習をする時に、それぞれのパートのメロディーを弾くため、そして全員で歌う時に代表でピアノ伴奏をするためでした。

    それぞれ曲を振り分けられ歌が変わる度に伴奏者も変わる感じでした。

    両手で伴奏をする人もいれば、終始右手だけで伴奏をする人がいたりしましたが殆どの人が片手での伴奏でした。

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    新しい歌を始める時、通常は先生が1フレーズずつ歌い、それに続いて皆が歌うのが通常なのですがT先生は一切メロディーを教えてくれず、いきなり初見で全員で歌わされてました。

    パート練習をしながら「いきなりメロディーも知らない歌を教科書だけ見て歌えって言われても分からないよね??」とぶつくさと文句を言いながら、皆パートの旋律を弾く生徒のオルガンの音だけを頼りに歌を覚えてました。

    ごくたまにT先生が伴奏を弾く事があったのですが、演奏がかなり酷く、本当に歌いにくい伴奏でした。

    もう一人の音楽の先生(H先生)は芸術家風な男の先生でピアノ伴奏も問題無く弾けたみたいなのですが、残念ながらH先生の授業を受ける事は一度もありませんでした。

    期待してた中学校の音楽の授業は期待外れ状態で始まってしまいました。


    次回に続く…

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    中学生活もスタートし、出席番号順に日々日直当番を交代でする事になりました。 日直当番になるとその日一日授業の開始と終了に号令をかけ、朝の会と終わりの会では皆の前に立ち、司会進行のようなことをしなければならず、人前で発言をするのが苦手な僕には本当に嫌な当番でした。

    日直当番になった日、放課後に先生から手渡されたプリントを全員の席に配布してたら手を滑らせてしまいプリントを落としてしまいました。

    落ちたプリントを拾おうとした時、隣の小学校卒業のクラスメートH君が何も言わずプリントを拾い集め、そのまままだ配ってない席に全部配布してくれました。

    終始無言状態のH君に、「助けてくれたの?」とそれまで人に親切にされた事が無かった僕はどうして良いのか分からず、かなり戸惑いお礼すら言う事が出来ませんでした。

    その後も他の人と揉め事になりそうになった時に僕をかばってくれたりしてくれて、中学校に入って最初に友達になったのはH君でした。

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    お互いドラクエ好きだった事もあり、意気投合して家に遊びに行き来するようになりましたが、お互い学校から逆方向に住んでて、自転車で片道一時間位かかる距離の家に住んでました。

    まだ新たな生活にも慣れない頃、美術の時間で「クラスの親友の似顔絵を描こう」と言う企画を立てられてしまいました。
    誰が誰の顔を描いてるかは分からない状態での絵描きが始まりました(お互いがその人の顔を書いてるとは限らない)。今思えばちょっとこの企画はどうなのだろう?と思ってしまうところはあるのですが…

    他に仲良かった人がいなかった僕は「H君は僕の事親友と思ってないかもしれないけど…ゴメン!!似顔絵書かせて(>_<)」と思いながら、少し席の離れたH君の特徴を捉えながら似顔絵を描き始めました。

    当時音楽と同じく絵はかなり得意だったので誰が見てもH君と分かる似顔絵を描く事が出来ました。

    H君も僕の似顔絵を描いてくれたのですが、絵が得意でなかったH君の絵を見て、「こ…これ僕なのね(^_-)」と苦笑い状態に。

    当時の流行りはやはりドラクエで、ノートにモンスターの絵を原画のまま描き写したりしてリアルな絵を描いてました。

    モンスターの絵を描いたノートは当時僕の第二の宝物状態で、常に持ち歩いてました。

    しかし、この後H君が徐々に豹変し始めノートと共に予期せぬ方向に…

    次回に続く…

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    春休みも終え、いよいよ中学生の生活が始まりました。
    隣の小学校と一緒になるため、生徒の人数は倍に増え、新たな人との出会いがありました。

    教室には半分位見知らぬ人がいて、同じ小学校でも一度も同じクラスになったことがない人がいたりで面識の無い人が大半でした。

    小学校の時には各教室に置いてあったオルガンが中学校では無くなってしまい、休み時間にオルガンを弾いて遊ぶと言う事が出来なくなってしまいました。

    毎朝学校に着くと校内放送で音楽が流れてました。その音楽が鳴り終わりまでに生徒は教室に入り、自分の席に着いて朝の会を始めると言う校則があり、音楽が流れ始めると全員自転車置き場や運動場から教室までダッシュで駆け込むと言った感じでした。

    ちなみに朝流れてた音楽は、「風の谷のナウシカ」のシンボルテーマソングのシンフォニーバージョンでした。

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    入学式を終えて部活見学が一週間位続きました。運動音痴な僕にとって、どの部活に入るべきか本当に悩まされました。

    吹奏楽と言う事も少し考えたのですが、姉のフルート事件の事もあったので吹奏楽は視野には入れませんでした。

    一通りの見学をして、最終的に入部を決めたのは当時一番暗いと言われてた科学部でした。

    先輩は二年生は一人も居なくて、三年生5人だけの部活でした。

    「これだけ人数が少なければイジメを受ける事も無いだろう」と言う気持ちもあり、科学部に入部をしたのですが、自分以外に入部した同級生は二人だけでした。

    その内の一人の子は生まれつき足に障害があり松葉杖で生活を送ってたH君でした。全員クラスは別々で三人とも初対面状態だったため、会話もなくぎこちないスタートとなりました。

    部活はと言うと、週に一回あるかないかと言う程活動がなく、殆ど帰宅部状態でした。

    授業を終えると同級生は皆体操服に着替えて部活に出てましたが、殆ど活動がない僕はそそくさと帰宅をしてました。

    大の勉強嫌いだったため、帰宅しても宿題は一才やらず、部屋で工作をしたり、ドラクエをして遊ぶと言う引きこもりに近い子供でした。

    また、録画してた映画を毎日毎日観てたため、映画の台詞は最初から最後まで全て一字一句間違いなく言えると言う変な特技が当時はありました。


    こうして不真面目な中学生活が始まりました。


    次回に続く…

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    小学校の卒業式も終えて、春休みに入りました。

    六年生の時に購入をしたドラクエを毎日のようにやってたのですが、中々先に進めず、四苦八苦してました。

    そんな時、近所の子が遊びに来て、色々とアドバイスをしてくれました。 レベルが上がってもモンスターに負けてたのは武器や防具は持ってるだけで全く装備してなかった、魔法使いの攻撃呪文を全く使わなかった等々(よくこんな状態で先に進んでたと言う感じです)、面白い様に先に進めるようになりました。



    テレビから流れてくるBGM、「ゲームの音楽だけど良い曲だな~」と思うものがいくつかありました。
    それもそのはず、作曲をされてたのはすぎやまこういちさんだったのです。

    そして、物語も終盤に差し掛かった所で、何とも言えない感動的なメロディーが流れました。
    それは不死鳥ラーミアの背に乗り、移動する時に流れる「おおぞらをとぶ」と言う曲です。

    ドラクエ全シリーズの中でも特に人気の高い曲で、後にドラクエコンサートに行った時にもアンコールで演奏されました。また、TOYOTAのパッソのCMにも使われた曲です。



    内心「この曲をもしもピアノで弾けたらカッコいいだろうな~」と密かにピアノで弾いてみたいと思う気持ちを抱くようになりました。

    そして春休みも終え、中学生生活が始まりました。

    次回に続く…

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    「一つのこと」の伴奏をマスターし、毎朝朝の会では僕とKさんのオルガン伴奏に合わせてこの歌を歌うことになりました。

    音楽の授業も卒業式で歌う歌の練習が続きましたが、相変わらず先生はヒステリックで、声が出てない時は鍵盤を叩きつけて「もっと声出す!! 私の伴奏じゃ歌いにくいかもしれないけど私も一生懸命弾いてるんだからしっかり声出して歌いなさい!!」と言った感じでした。

    ある日、音楽の時間に先生が僕に「ピアノ弾けるん??」と聞いてきました。 どうやら朝の会でオルガン伴奏してることを担任の先生が話した様子だったのですが、ここで「はい」と答えると、卒業式本番でピアノを弾くことになるのではないかと思った僕は、笑ってごまかしてしまいました。

    クラスの中だけでの伴奏なら自信はあったのですが、学年全員の前で弾く自信は全く無かったため、ピアノが弾けるかもしれないチャンスを自ら逃してしまいました。

    教室で休み時間にオルガンを弾いてると、何か視線を感じたのでその方向を見ると、下級生の女の子二人が「男のくせにオルガン弾いてる」と言った感じでこっちを見てました。

    まるで化け物を見るかの様なその視線に「見られた!!」と思わずオルガンから離れてしまいました。
    「男がオルガンを弾くと言うのはやはりこう言うことなのか…」と何とも言えない気持ちになりました。

    体育館でいつものように卒業式の練習をしてたら、担任の先生が来て「鈴木君、今日は音楽の先生が休みだから代わりにKさんと一緒に一つのことのピアノ伴奏してくれる??」と言ってきました。

    その日の練習は六年生だけでの練習だったし、Kさんも一緒なら心強いと思い、その日はピアノ伴奏をする事にしました。

    卒業式の練習を毎回仕切ってた四年生の時の担任の先生が、「どうやら一つのことの伴奏を鈴木君が弾けるそうだから今日は鈴木君のピアノに合わせて歌ってください」と言い、その瞬間に学年全員の視線が自分に来てしまいました。内心「そんな事言わなくても良いのに…」と更にそれが緊張する原因となってしまいました(>_<)

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    Kさんとピアノの前に立ちました。 ピアノを演奏するのはこれが二回目です。

    教室のオルガンでは毎回立って演奏してたためか、ピアノも立った状態で演奏することになってしまいました(立った状態での演奏は弾きにくさが倍増してしまいます)。

    そしていよいよ歌になり、伴奏のイントロを弾きました。演奏する前に小声でKさんが「ゆっくりね」と言ったのですが、タッチがオルガンと全く違い、イントロから僕もKさんもひっちゃかめっちゃか状態になってしまいました。

    「鍵盤が重たい!!」ピアノのタッチに全く慣れてない僕はあまりの鍵盤の重さに演奏のコントロールが完全不能状態になってしまい、テンポも極端に上がったり下がったり…

    暫くすると担任の先生がKさんに「ペダルを踏んで」と指示を出してきました。
    Kさんがペダルを踏むと音が響くようになったのですが、エレクトーンしか演奏したこと無いKさんはペダルの使い方を知らず、ずっと踏みっぱなしでした。

    「お願いだからペダル踏み変えて(>_<)」と心の中で叫ぶのですが、ピアノの音はもはやボワンボワン状態で、色んな音が混ざり過ぎてかなり現代音楽的な「一つのこと」の伴奏になってしまいました(一つの曲を終始ペダルを踏みっぱなしで演奏すると本当に気持ち悪い演奏になります)。


    歌が終えてKさんと「弾きにくかったね。 鍵盤が重たいね」と言いいながら元の場所に戻ったのですが、四年生の時の様なピアノが弾けた喜びと言うものはなく、ピアノが弾けなかった無様な自分、人前で弾けないと言うトラウマだけが残ってしまいました。

    同級生にも「何だよあの伴奏。全然歌えなかったよ」と言われてしまい、「だよね…」と完全に自信喪失になってしまいました。

    先生も「失敗した」と思ったのか、それから卒業式までピアノ伴奏をお願いされる事はありませんでした。

    次回に続く…

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    三学期を迎え、卒業式、六年生を送る会の練習が始まりました。
    卒業式は生徒一人一人が長々と送る言葉を言うもので、毎日二時間体育館で練習がありました。

    卒業式で歌う歌は、「君が代」、「仰げば尊し」、「蛍の光」、「校歌」、そして毎年変わる課題曲のような歌1曲で計5曲歌うのが定番でした。

    僕達が卒業する時に歌った歌は「一つのこと」でした。上級生が歌ってるのを何度か聴いたことがあった歌なので何となく耳に馴染みのある歌でした。

    音楽の時間に全員楽譜を手渡されました。
    五年生の時に貰った「虹になりたい」に続いて、ピアノ伴奏譜が付いてる楽譜でした。

    音楽の時間は卒業式で歌う歌を毎回歌うことになり、特にこの「一つのこと」は二部合唱でハモりがふんだんに盛り込まれてた事もあり、念入りに歌の練習をしました。

    ピアノ伴奏部分を早速譜読みを始めました。ハ町長の曲なので、黒鍵は殆ど使わず、譜読み自体はそれ程難しく無かったのですが、分厚い和音、オクターブの急速な下降等があり子供の手で弾くにはそこそこ高度な伴奏でした。

    オルガンでゆっくりと音をさらいましたが、覚えるまで結構時間がかかりました。朝の会の歌は毎日この歌を歌ってたのですが、エレクトーン弾きのKさんと一緒に両手伴奏をする様になりました。

    六年生最後にハマった演奏は、この「一つのこ」の伴奏でした。

    大人になって知ったのですが、この「一つのこと」は、詞は全く同じだけど、メロディーが全然違うもう一つの歌が存在するみたいで、カラオケで歌おうとした時にメロディーが違う為全く歌えなかった事がありました。

    有名なのはどちらのバージョンなのでしょう??



    次回に続く…

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    六年生も後半に差し掛かり、二週間限定の教育実習の先生(G先生)が来られました。
    眼鏡をかけたお兄さんで、とてもフレンドリーだった事もあり、初日からクラス全員の人気者になりました♪

    生徒が聞く質問に何でも笑顔で答えてくれる先生で、特技も多く、ファミコン好きな先生でした。
    当時のファミコンは、エンディングが無く、命尽きるまで永遠に進んでいくゲームが殆どでしたが、G先生はかなりの腕前だったらしく、誰も進んだことがないエリアまで行ったそうです。

    小学校の先生の為、全教科を二週間担当されました。
    音楽も担当され、初めての音楽の時間には「楽器はとてもデリケートな楽器です。どの楽器を演奏する時も大切に取り扱って下さいね」と言われました。

    早速何か楽器を演奏してくれたのですが、演奏はさすがに苦手だった様で「あれ?出来ない。 ごめんなさい~」と笑ってごまかされてました。

    しかし、教え方はとても上手く、グループごとに演奏した合奏は全体的にバランスの取れた演奏になりました♪

    給食の時間は毎日グループになって食べてたのですが、G先生は日替わりで毎日各グループに来て一緒に食べてくれました。

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    楽しいG先生の授業もあっという間に二週間が過ぎてしまい、お別れの日が来てしまいました。

    皆の前で挨拶をした後、クラス全員にメッセージを書いたカードを1人ずつ手渡してくれました。

    僕がG先生に書いてもらったメッセージは「とても物静かで大人しい鈴木くんってイメージです。皆の前で大きな声で発言するってとても気持ち良い事だよ♪中学校になったら色々な事を活発的にやりましょう!」と言った内容でした。当時は本当に恥ずかしがりやで大人しかったため、「先生よく見てるな~」と感じました。

    最後は全員泣きながらG先生に飛び付いてお別れをしました。

    G先生とのお別れ、そして卒業式も近付き、新たな旅立ちの日も迎えようとしてました。


    次回に続く…

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    休み時間にいつもの様にオルガンを弾いて遊んでると、クラスメートの男の子が紙を
    持って来て「これ弾いてくれる~??」とオルガンの蓋に一枚の紙を置きました。

    紙にはただドレミの階名だけが書かれてたので「ごめん!これだけだと分からなくて
    弾けないよ」と言うと、「あ~(>_<)残念。これドラクエの曲なんだよ~」と残念そうに
    答えました。

    「ドラクエか~、やったことないしファミコンはマリオしか興味ないんだよ~」と言ったの
    ですが、この頃まさに世間はドラクエブームで社会現象にまでなった人気のゲームでした。

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    ロールプレイングには当時全く興味が無かった僕なのですが、平日にドラゴンクエストⅢが
    発売されたこの年、会社や学校を休んで長蛇の列が出来てるのをニュースで見て、
    「そんなに面白いゲームなのかな??」と少しだけ興味を持ち始めました。

    しかし、発売日当日以外の入手は当時は大変困難で、どこに行っても売り切れ、常に
    入荷待ち状態でした。

    中々手に入らないとなるとますます欲しくなってしまうのが人間の心理で、普通に店頭で
    手に入るようになったら購入しようと密かにドラクエ購入を心待にしてました。

    既に購入したクラスメート達は「どこまで進んだ??僕はやっとピラミッドまで行ったよ」と
    言った会話が毎日耳に入ってきました。「僕も会話に参加したい…」と思ってた頃、ようやく
    店頭で販売してるのを発見しました。

    発売日からかなり日にちは過ぎたけどやっと手にすることが出来、ドラクエデビューを
    しました(ストーリーはⅢ→Ⅰ→Ⅱだったので、物語を知るには丁度良いスタートでした)。

    初めてのロールプレイングだったので、やり方もよく分からず中々先には進む事が
    出来ませんでした。しかし、このゲームとの出会いが、この後更にピアノ好きになる
    きっかけになるのでした。

    次回に続く…


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    六年生も再び嫌いな夏がやってきました。

    夏は水泳の授業がとにかく嫌いで、1mも泳ぐ事が出来なかった僕には水泳の授業ほど嫌なものはありませんでした。

    五年生で初めて同じクラスになったもう一人のいじめられっ子のH君は、僕と同じくスポーツは苦手な子だったけど、水泳だけは得意な様子で全く泳ぐ事が出来なかった僕を水泳の時間ずっと大声で笑ってみてました。 また、勉強は恐らく当時学年で一番成績優秀だった事もあり、学年で常にビリだった僕はH君に対してかなり敵意を抱くようになってました。

    ある日、休み時間にオルガンを片手で弾いてるH君を見て、「さすがに両手で弾く事は出来まい。 音楽だけは悪いけどお前には負けない!!」そう心の中で呟き、当時得意だった絵と音楽は誰にも負けたくない!と言う気持ちが湧いてきました。

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    この後H君とは高校まで同じ学校に通うことになったのですが、最終的に高校2、3年生で成績は自分の方が追い抜く事になり、この時誰もが予想しなかった程の優等生として高校生活を送る事になりました。

    クラスで出し物があるため、再び合奏の練習が始まりました。 他のクラスが体育館で練習をしてた時、たまたま掃除の時間と重なり練習風景を見ることが出来たのですが、エレクトーン伴奏をスポーツ万能でいじめっ子でもあったS君が演奏してました。

    その弾きっぷりを見て、友達のF君が「お前より上手いな」と言ってきました。
    すると別の友達が「そりゃあS君はエレクトーン習ってるんだもん。 上手く弾けて当然だよ」と言ってきました。 その言葉を耳にした時、「ピアノは習ってないと上手く弾けない?? 習ってなくてもこの位弾けるさ!」と、自分の中で「習ってる=上手い、弾ける」と言う概念を覆したいと激しく思ってしまうのでした。
    「せめて家で練習出来るピアノが欲しい…」ピアノに対する想いが更に熱くなるのでした。

    次回に続く…


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    六年生になり、朝の会、終わりの会で歌うオルガン伴奏は、音楽係が担当することになりました。

    伴奏とは言っても、両手ではなく片手でメロディーを演奏するだけで良かったので、僕は音楽係になりました。
    他にもエレクトーンを習ってたKさんが音楽係になったので、朝の会の歌はKさんと二人でメロディーを弾いてました。

    四年生の時の担任の先生が持ってた小さなハンドブックの様なメロディー譜が家にもあったので、早速学校に持って行きました。

    「いつも音楽の時間で習う歌ばかりじゃつまらないね」と言うことになり、「明日からこの歌をやってみよう!」と同じ音楽係の他のメンバーが適当に曲を決めたりしてました。

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    しかし、そこに大きな落とし穴が…

    ドレミの音階こそ読むことが出来たものの、全く知らない曲になると、音をどれだけ伸ばせば良いのか、どういうリズムで弾けば良いのかが全く分からなかったのです。

    聞いたことのある歌や、知ってる歌であればメロディーを弾く事は出来たのですが、全然知らない歌は楽譜を見て弾くと言うことが出来ませんでした。

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    Kさんも僕に似たところがあり、時折リズムがおかしい時がありました。

    途中まではこの歌知ってるけど、後半は全く知らない…と言った曲になると、途中から全く弾けなくなり、無伴奏状態になる事から先生にも「ちょっと!どうして途中から二人とも弾かないの!!歌の伴奏するんだったら任されてるんだからちゃんと弾かなきゃダメでしょ!」と注意も受けてしまいました。

    「楽譜が読めない…」とは今更言うことも出来ず、最初の壁にぶち当たることになってしまいました(実際にきちんと楽譜が読めるようになったのは中学生を卒業する頃でした)。

    知らない歌のメロディーが弾けないと言うトラウマから、伴奏が重荷になってしまうのでした。


    次回に続く…


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