ピアノ調律師、ジェフスキのブログ

横浜市神奈川区在住、ピアノ調律師ジェフスキのブログ

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    高校生活も慣れてきた頃、周りは仲良しグループ等出来てきました。僕は中々周りと打ち解けることが出来ず、友達が中々出来ない状態でした。
    ある授業中、睡魔が襲ってきてうつらうつらとしてしまい、はっと気付くとその様子を見てたY本君が見てて笑いながら「大丈夫??」と言ってきました。「大丈夫大丈夫!!」と笑いながら答えたのですが、それまで恐ろしいイメージしかなかったY本君の笑顔を見たのはその時が初めてでした。

    苦手な体育の時間になり、特に授業の課題が無かった最初の頃は中学生の授業で行ってた球技を一通りすることになりました。
    最初はバレーボールでした。中学生の授業でバレーボールは一度もサーブが相手チームのコートに入ったことがなく、サーブを打つ度に手が痛くなり苦手意識しかありませんでした。

    自分がサーブを打つ番になり「来たか…」とやけになってサーブを打つと、初めて相手のコートに入り、運良く点数も取ることが出来ました🎵「あれ?いつの間に腕の力が付いたんだろう??」とその後もサーブを打ちましたが、かなりギリギリの場所までボールが届いたりしてネットに引っ掛かるといったこともありませんでした。ただ、コントロールは全く出来ず、どこにボールが跳んでいくのか自分でも分からない状態だったため、相手のチームも打つ度に跳び方が違うボールを打ち返すのがある意味難しかったようです(^_-)
    しかしサーブもアウトになってしまいコートに戻ったのですが、ゲームを仕切ってたY本君は再び笑顔で「ドンマイドンマイ!とにかく楽しくやろう!!」と言ってくれました。
    そのお陰もありその日の体育の時間は楽しく過ごせてことと、人は見掛けだけじゃないと言うことを改めて知ることとなりました。

    こうして少しずつ周りとも打ち解けられ1ヶ月が過ぎ、季節は五月になりました。しかし、三月に購入した電子ピアノはまだ届かず、一番楽しみにしてる納品はいつになるのか分からない状態でした。


    次回に続く…

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    高校生活もスタートし、少しずつ新生活も慣れてきました。しかし、人見知りの激しかった僕は中々周りの人と話すことが出来ませんでした。
    出席番号順の席で、僕の前には大嫌いなS森、そして後ろの席は広島から通学してる不良みたいな感じのT木君がいたため後ろに振り向いて話すことはしませんでした。
    他には野球部のとても長身なM本君が少し離れた席に座ってましたが、「あの人怖そうだな。。授業中堂々と居眠りしてるし目を付けられたら間違いなく虐められる…」と極力目に付かないようにする日々が続きました。

    中学生の時はとにかく勉強がついていけなかったため、高校生はついて行かねばと授業は真面目に受けてました。

    先生が誰かに質問を投げ掛けても答えられなかったり間違えた回答をする人が多かったため「他の人も分かってないんだ」と中学生の時には無かった安心感のようなものがありました。

    僕の頭の中には春休みに購入した電子ピアノの到着が常にありました。しかし、2週間以上経過したにも関わらず、ダイイチから連絡もなく全く納品される気配がありませんでした。

    母にお願いして催促の電話をしてもらうも、「もう少々お待ちください」としか言われませんでした。
    少し苛立った母は「届かないんだったらキャンセルしようかね!!」と口にしてました。

    いつまで経っても届かない電子ピアノ、本当に納品されるのか不安になってしまうのでした。



    次回に続く…

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    高校生になると英語1、英語2等同じ教科でも二種類あるものが多く、中学生の時には5教科しかなかった試験も一気に増えてしまい、授業内容もてんこ盛り状態となりました。
    そんな中、芸術系の音楽、美術、書道に関しては選択科目となりました。ピアノが好きな僕は迷わず音楽!と思ったのですが、歌のテストの事を考えると気持ちが憂鬱になるため選択した教科は美術でした。
    入学式の日、父兄も教室にいたのですが、教科書配布の際僕が美術の教材を受け取ったため、母が「あんたピアノ弾くのに音楽じゃないの??」と言ってきました。周りの人達に聞こえるような大きな声で言ってきたため恥ずかしくなり「いいの!歌のテストが嫌だから美術を選択したの!」と小声で伝え、他の父兄に笑われて恥をかいてしまいました。

    歌(合唱)が無ければ迷わず音楽を選択したのですが、中学生の声変わりから人前で歌を歌うことが苦痛となり、音楽は断念しました。

    でも音楽の教材を受け取ってるクラスメートの姿を見て「あの教科書にはどんな曲が収録されてるんだろう??」と教科書の中身が凄く気になってしまうのでした。



    次回に続く…


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    念願の電子ピアノを購入し、納品を楽しみに春休みも終え高校一年生になりました。中学校とは比べ物にならない大きな学校で、普通科は9クラス、商業科は3クラス、6年制普通科は3クラス、隣には短大もあり教員だけでも100人以上いる学園でした。
    中学校から引き続き同じ学校に入学した同級生も分散され教室内は周りは殆ど知らない人だらけでした。
    保育園の時からずっと一緒だった親友のH田君とは残念ながら同じクラスになることが出来ませんでした。もう一人保育園の時から一緒だったS森と同じクラスになったのですが、保育園から
    一緒だったにも関わらず過去に同じクラスになったのは中学二年生の時でした。
    出席番号順に並ぶと僕の前になるのですが、僕はS森の事が大嫌いでした。そう思ってたのは僕だけではなく、同級生ほぼ全員が同じ様に思ってました。
    しかし、周りがどんな人たちなのかも分からず、人見知りの激しかった僕は他に話す相手もなく最初の頃はS森と渋々会話をするようになりました。

    中学生の頃は髪を伸ばしてはいけず、男子は全員丸坊主だったのですが広島県から来てる人達は皆髪を伸ばしてました。「同級生なのにこの差は何だろう…」と疑問に感じつつ虐めだけは受けたくない思いもあり、少し周りと距離を取る自分がいました。

    こうして周りと打ち解けていけるのか、赤点を取って上の学年に上がることが出来なくなるのではないかなど不安だらけの高校生生活が始まったのです。


    次回に続く…

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    中学生生活も終え、春休みに入りました。宿題もなく、のびのびと過ごせる休みとなりました。いつものように母と街に買い物に出て、一人でぶらぶらとお店を歩き回りました。そして、何気なく立ち寄った家電量販店のダイイチに立ち寄ると、1台電子ピアノが展示されてました。
    値段を見ると10万円ちょっとでした!当時電子ピアノの金額は30万円前後だったと思います。「この金額なら自分の貯金で買うことが出来る!!欲しい!!」と思い、母と合流して電子ピアノを購入したい事を伝えました。しかし母の口から出た言葉は「何を馬鹿なこと言ってるの!!そんなもの買えるわけ無いでしょ!」と全く耳を傾けようともしませんでした。
    そのままお婆ちゃんのお店に寄りました。
    僕の顔色が悪い事に気付いたお婆ちゃんは「しんや、どうした??頭痛いんか??具合悪いんか??」と言ってきました。
    母は呆れた様子で「今ダイイチに行ってきたんだけどね、電子ピアノが10万円で売ってるから買いたいとか馬鹿なことを言ってるのよ」とお婆ちゃんに言いました。
    するとお婆ちゃんは、「本人が前から欲しい欲しいって言ってたんだし、高校にも行ける事になったんだからそのくらい買ってあげてもいいじゃない。ほらほら、婆ちゃんが1万円あげるから残り9万円になるね」と1万円をプレゼントしてくれたのでした。
    子供の頃からお婆ちゃんの家の二階にあるオルガンを弾いてる僕の様子を見て、身内の中でピアノを購入することに賛成してくれてたのはお婆ちゃんだけだったのです。
    不機嫌な母に連れられて再びダイイチに戻りました。
    ピアノ売り場に行くなり店員さんにかなりな喧嘩腰の口調で「何でこのピアノこんなに安いの!!??」と聞き出しました。安かった理由は新商品発売のための在庫処分と言うことでした。そして「この10万飛んで、って飛んでって言うのが私は好きじゃないのよ!」と言い、10万円ジャストで購入することになりました。一つだけ鍵盤が欠けた状態だったため、欠けた鍵盤を修理しての納品となりました。納品まで2週間が目安と言われました。
    かなり不機嫌な様子で契約書に母はサインをし、お店を出るなり「ちゃんと勉強するんよ!!」と言ってきました。

    こうしてお婆ちゃんの助けもあり、欲しかった電子ピアノを購入することが出来たのでした。


    ピアノと僕~少年期の思い出~完結

    ピアノ調律師への道に続く…

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    楽しかった中学三年生生活も、終わりが近付いてきました。居心地が良かったクラスでもありいつまでも終わってほしくないと願うも、時はゆっくりと過ぎていきます。

    全校生徒の卒業式予行演習は何度か行われました。
    小学生の時は毎日二時間ぶっ続けで卒業式の練習をさせられてしまい、ほぼ二時間立ちっぱなし状態で辛いものでしたが、中学生の卒業式は本当にさらっとした練習でした。

    そしていよいよ卒業式当日になりました。卒業生は担任の先生に一人ずつ名前を呼ばれ、呼ばれた生徒は返事をしてその場で起立をするのですが、たった一人返事をせずに立った子がいました。
    家にも遊びに来てくれたH田さんです。
    卒業式当日、保護者も来なかったらしく、卒業式の時間ずっとウォークマンを聴いてたと聞かされました。普段はとても優しい子なのですが、心に何か大きな闇を抱えてる事は子供だった僕にも分かりました。
    在校生に拍手をされながら三年生は退場するのですが、退場の時に下級生の演奏する哀愁ある曲が聴こえてきました。何の曲だったのかは今も分からないのですが、しっとりとした素敵な作品でした。

    教室に戻り、卒業アルバムに色々コメントを書いてもらい、そして僕も友達にコメントを書きました。
    卒業しても皆近くに住んでるし、すぐにまた会えるとその時は思ってたのですが、卒業後一度も会ってないクラスメートは今でも何人かいます。
    また、登校拒否を続けてたクラスメートのA井君は、卒業アルバムで初めて顔を見ることとなりました。一度も学校に来なかったA井君、卒業間際にクラス宛に手紙を出してました。ワープロで書かれた手紙で、学校に行けるように自宅で必死に勉強してると言う内容でした。
    時折人が転げた様子の絵もワープロで書かれてました。

    卒業アルバムに書かれた友達の書き込みを読み返し、「本当に中学生生活が終わっちゃうんだ。。皆とも離れ離れ…寂しい」と言う気持ちが込み上げてきました。
    高校生になっても勉強が付いていけるのか、再び虐めを受けたりしないか等不安な気持ちを抱え、校舎を背に帰宅しました。


    次回に続く…

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    卒業式も近付き、中学生生活も終わりを迎えようとしてました。3年間の中で、一番居心地がよかったのは3年生の1年間でした。何でもないことで笑いあったり、先生も生徒の気持ちに近い部分もあり内心「卒業式なんか来ない。いつまでも皆とこうして過ごせる日が続く…絶対にそうだ」と思う自分がいました。

    卒業式の定番の歌を音楽の時間に練習することになりましたが、この頃の定番の歌は「あおげば尊し」でした。二部合唱のハモりになってて、男子と女子と各々のパートの練習をしました。
    実際体育館での練習は男子と女子と完全に分けて並んでたので、女子のパートに吊られると言うことはありませんでした。

    その他は「蛍の光」「校歌」「君が代」だったためこれといった練習はなく歌の練習は殆ど「あおげば尊し」でした。
    この頃、卒業式の定番の合唱曲となった名曲「旅立ちの日に」が誕生したのですが、その歌の存在を知ったのは誕生から20年以上過ぎてからでした。

    次回に続く…

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    高校入試も終わり、学校の授業も穏やかな流れになりました。入試は終えてもしっかりと期末テストが行われ、中学生生活最後のテストとなりました。期末テストは9教科行われ、勿論音楽も含まれてました。
    音楽のテストはペーパーテストに加え、歌、リコーダー、ピアノ演奏のいずれかが課題でした。歌が苦手な僕はリコーダーを選択しました。ピアノ演奏を本当は選択したかったのですが、クラシックが何も弾けない為、さすがにドラクエやジブリの曲ではダメだろうと思い断念しました。
    他のクラスメートもほぼリコーダーを選択してました。
    そんな中一人だけピアノ演奏を選択した女の子がいました。3年間文化祭の合唱でピアノ伴奏をしたH田さんです。ピアノの腕前はそこまでと言った感じではなく、余り目立たない人物でした。
    リコーダーの演奏を出席番号順に一人一人行い、彼女の番になりました。
    ピアノの譜面立てに例の全音ピアノピースの楽譜を置きました。僕が座ってた席から楽譜が少しだけ透けて見えたのですが、32分音符がぎっしり書かれてるのが一瞬だけ見えました。何か難しそうな曲が始まるのだと思いました。
    耳馴染みのある作品で、誰もが一度は耳にしたことのあるメロディーが流れてきました。
    つっかかりつっかかりの演奏でしたが、曲が進むと高音域の素早いアルペジョなどが現れ、後ろの席に座ってたF本君が「これお前弾ける??」と言ってきました。「さあ…楽譜があれば弾けるかも??」と答えると「またまた~」と言った感じで返されてしまいました。
    でも内心「この子が弾けるなら僕にも弾けるはず!」と思う自分がいました。「この曲弾いてみたいな…でも何と言う曲なのだろう??オルガンではまずこの音域は演奏は出来ないな…」と言うことしか分からなかったのです。H田さんとは会話をしたことも無かったため、後から「あれは何と言う曲なの?」と聞くことも出来ず、モヤモヤが残りました。
    ピアノ演奏の後は再びリコーダーの演奏に戻ったのですが、華麗なピアノの音色の後にリコーダーの音を聴くととても幼稚な感じに思えてしまい、周りの人達も「ピアノの後に聴くとしょぼいね」と口にしてました。こうして中学生最後のテストは終わり、卒業式を迎えることとなりました。



    次回に続く…

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    中学生生活も残り僅かとなり、いよいよ入試の時期となりました。最初に私立高校(滑り止め)、そしてその後少し期間を空けて公立高校の試験でした。
    私立高校は誰でも入れると言われてたほど成績が悪くても入れる学校でしたが、成績が著しく悪い僕は不安で不安でたまりませんでした。
    気休め程度の勉強をして、試験に挑みました。結果は…合格でした!
    他の生徒も全員合格でしたが、泣いてる女の子もいました。合格通知を担任の先生に手渡された時「これはお守りだからな!次の公立も合格目指して!!」と言われました。

    私立高校の受験を終えて次は公立高校受験です。実は公立高校はどこに行きたいのか自分でも分からず、家から最も近い学校を選びました。しかし、その学校は当日ガラが悪い高校で有名でした。当時で言うヤンキーだらけの学校だったのです。

    試験はその学校で行われましたが、他の学校の生徒も受験に来てて、周りの席は見知らぬ人だらけでした。
    結果は…不合格でした。
    合格発表で合格者、不合格者と時間をずらして学校に行きました。「この人も落ちたの??」と意外な生徒もいて試験に落ちた人の大半が同じ私立高校に入学することになりました。

    ひとまず大きな中学時代の課題は終えて肩の荷が下りる気分になり、暫く放心状態となったのでした。



    次回に続く…

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    中学生生活も残り僅かとなり、学校でも毎日のように予想問題などの模試の続く日が訪れました。

    勉強嫌いな僕は入試前と言ってもこれといった対策はしてませんでした。分からないまま授業が進むといった感じで、中学一年生の初期から完全に乗り遅れてしまってたのです。

    中間テストなどの通知表が届く度に折れ線グラフで学年の平均点と自分の点数を色分けして書かされてたのですが、平均点を遥かに下回ってる僕は周りの人に見られないように隠れて書いてました。

    しかし、悪い成績と言うのはどうしても周りの人にバレるもので、ある日クラスメートのT原君に「お前は体育は全くだめ、勉強も出来ない、得意なのはドラクエの絵を描くことくらい。まるでダメダメ人間だな。俺がお前みたいな人間なら生きていけんな」と小馬鹿にして笑いながら言ってきました。
    言われた瞬間とても頭に来たのですが、その言葉がずぼしのため何も返す言葉は無く…心の中で「確かにそうだよね。スポーツ万能、成績優秀のお前から見れば何も取り柄無い人間だよね。生きてる価値無い人間かもしれないよね。」そう思ってしまいました。それは本当に悔しい一言だったのですが、その時に自分の中で別の心が生まれ「ならばお前には絶対に出来ない特技を身に付けてやる!世の中勉強だけではない。いつか見返してやる!」と何か強いものが出来たのでした。
    その結果なのか、後に色々な特技を身に付けたり、色々な事に撃ち込める精神力が生まれました。
    とても当時ヒョロヒョロ体型で、モヤシのような体つきにコンプレックスを抱いてた僕がその10数年後、とある雑誌のモデルに登場したりする事も出来たのです。

    そして、勉強の成績は…


    次回に続く

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